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「ドビュッシーとの散歩」 [音楽のこと]

失念していたが、今年は「ドビュッシー生誕150年」だそうで、どうりで「大阪クラシック」でもドビュッシーの楽曲が多く聴かれたはず。

 

クロード・アシル・ドビュッシーは、1862年にイヴリーヌ県サン・ジェルマン=アン=レーで生まれた、フランス近代を代表する作曲家。いわゆるメジャー・スケールやマイナー・スケールとは異なるモードと、古いハーモニーに囚われない独自の作曲法で多くの楽曲を残した。いずれも耳に心地よく、それでいて演奏するには高度な技術を要するもの。平均律で調律されるピアノなど鍵盤楽器とは相性はいいのだろうが、管楽器や弦楽器ではかなり辛いンじゃないで しょうか。
J.S.バッハが築き上げた荘厳なまでの圧倒力でもない。L.V.ベートーヴェンのような「どやッ!!」という感じのインパクトでもない。それでいて耳に残り、一度聴くと忘れることは出来ない。
彼の時代にフランスまで波及したであろうジャズに影響されることもなく、スイングやポップとは違う、他に類を見ない揺れ感というか揺蕩うような曲調が特徴。それを、突然の思いつきではなく、彼以前に存在した理論や書法を修めたうえで作り出しているのがスゴいところ。様々な旋法や時に不協和な和音まで散りばめて、それでいて奇異な印象を与えずに涼しい顔をしているあたり、フランス人らしい皮肉っぽさが溢れていて面白い。
温故知新というけれど、このヒトは過去の大作曲家が練り上げて積み重ねてきたオンガクを一新してしまった感がある。
その代表作となると「月の光(ベルガマスク組曲)」とか「交響詩『海』」、「夜想曲」等々。晩年のソナタは必聴。

当たりの柔らかさというか、はんなりやんわり、押し付けがましい感情やストーリー性が希薄で、身構えること無く聴くことが出来る。J.S.バッハやベートーヴェンではこうはいかない。ついつい居住まいを正してしまう。
例えば、午後のお茶を頂きながら。ティー・ソーダのグラスの中で揺れながら立ち上り弾けて消える炭酸の気泡の動きともシンクロしてくれる。
例えば、夏の午睡の夢へのプレリュード。調性の不安定感が水に浮かべたボートかなんかでうたた寝しているような、木陰のハンモックに揺られながらの微睡みのような心持ちを誘う。輪郭線のはっきりしない印象派絵画を音にしたような、夏の日中の陽炎めいた"揺れ感"が暑さに倦んだ身体を眠りへと誘ってくれる。
そして、その纏わり付くヴェールのようなフレーズの中に隠された小さな棘がチクリと刺さる度に夢から引き戻される。

J.S. バッハを父と慕い、ベートーヴェンを師と仰ぐワタシにとっても、ドビュッシーは特別。バッハやベートーヴェンは"聴く音楽"、それに対してドビュッシー は"感じる音楽"。印象派音楽と呼ばれるように、光と風と水、不定形な現象を音に変えたようなその曲調は、その場の雰囲気、ニュアンスを特別なものに変えてくれる。

Debussy.jpg


さて、「ドビュッシーとの散歩(Promenades avec Debussy)」は、ピアニストにしてエッセイスト、音楽博士で大阪音大の教授、そしてドビュッシー研究家として知られる青柳いづみこが、ヤマハ会員情 報誌「音遊人(みゅーじん)」に連載していたエッセイを纏めたもの。発行元がピアノ・メーカーなのでピアノ曲に限定したそうだが、ヤマハは管弦楽器も作っていたような・・・。
ドビュッシーの楽曲から、いずれもよく知られた40曲についてのエッセイは、いさぎいいほど簡潔な文章で書かれ、読みやすく判りやすい。ドビュッシー研究家とあって、評論や解説、彼に関する著作は多いが、これは気軽に読むことが出来る。それこそ傍らにティー・ソーダを置いて、 そのエッセイのテーマとなっている楽曲を聴きながら読めばいい。一編読んでは微睡んで、一曲聴いては夢の中・・・。

"芸術の秋"や"読書の秋"というと肩が凝るが、秋の夜長にドビュッシー。ピアノの音色に耳を傾けながら、エッセイを読むもよし、気が向いたらそのモティフの源泉となったポール・ヴェルレーヌやシャルル-ピエール・ボードレールまで繙けばいい。勉学に勤しむ秋というのもいいかもね。とりあえず、熱いティオレを淹れて"bonjour"から始めましょ。


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