SSブログ

浪漫 (その2) [音楽のこと]

"ロマン"を日本語で言い表すのは難しい。"ロマンティック"と言っても、あまりに概念的で、漠然としている。
ワタシの場合、クラシック音楽を聴くうちに、「ロマン派」、「ロマン主義」における"ロマン"とはなんだろうと考え出したのだが、本来「ロマン派」、「ロマン主義」は「古典派」、「古典主義」の"ラテン"の対概念。
ワタシにとって、日本人にとってはその"ラテン"という概念も複雑怪奇、解りづらい。「教条主義」ともいわれるように宗教に深く関わっているからだ。
ルネサンス期以前、音楽は幾何や統計と並んで数学の1ジャンルだった。かのピタゴラスも美しい響きを得るために独自の音律を作り出した。綺麗なハーモニーは計算から導き出されていた。
古典主義の時代となって、その頃権力を持っていた、神の代理人たる教会が他の芸術とともに布教活動に利用するようになった。宗教芸術、宗教音楽として発展し、様式美と呼べるものを作り出すに至り、それは理論、メソッドとなった。原理、原則で構成された揺るぎない様式美は美しいが、逸脱することを許さない規則性は時に面白さを欠いてしまう。
そして音楽は教会を出て、王侯貴族のサロンから市民も楽しめるホールへと移って行くこととなる。そこでは、より解りやすいもの、楽しめるものが求められたであろうことは想像に難くない。作曲家、演奏家としても、より自由度の高い音楽を求め出したと思われる。古くからあった土着的な歌曲や舞曲と結びついて、より享楽的で娯楽的な音楽が求められるようになる。
ワタシ達二十世紀ロック少年から見れば、それこそ"ブレークアウトしちゃおうぜッ!!"というムーブメントがそこにあっても驚かない。"規則は壊すためにある"と、きっちりとした理論があればそれを壊してしまいたい。他の誰とも違う個性的な音楽を作りたい。

以前は、「ロマン主義」とは"郷愁"あるいは"追憶"かと考えていた。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは病いを得て、徐々に音を失って行く中にあって、"不滅の恋人"に想いを馳せていた(らしい)。

ワタシは常々、音楽は"祈り"、"願い"だと認識しているのだが、病いから聴力が失われて行くことに対する恐れ、不安からルートヴィヒも神に祈ったはず。それが聞き入れられないことへの反発もあったはず。彼をして、「古典主義」の集大成かつ「ロマン主義」の先駆けとされるのはその辺りに起因するのではないか。"祈り"が届かない、"願い"が叶えられないのなら、壊してしまえ。"権力"や"権威"に縋っても何も変わらないのなら、自らの中にある"チカラ"に頼らざるを得ない。"苦悩を突き抜け、歓喜に至れ"とは外に救いを求めるのではなく、自らの中にあるその"想い"を音楽として昇華させるということか。宗教音楽でも宮廷音楽でもない新しい音楽。

フレデリック・フランソワ・ショパンは、革命前夜のワルシャワを追われるように、ウィーンからパリへ向かう。蜂起失敗の報を受けて、その失意から楽曲を書き上げた。闘病、そしてジョルジュ・サンドとの逃避行、失恋と失意。ウィーンにもパリにも居場所が見つけられず、遍歴を重ねながらも、"想い"だけはワルシャワを目指す。音楽の都でも花の都でもよすがを見つけることが出来ず、幼い頃から聴いていた祖国の音楽をもとにマズルカやポロネーズを書き続けた。

セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフは革命に揺れるロシアを離れても"モスクワの鐘"を忘れなかった。
"音楽の都"たるウィーンや"芸術の都"パリでラテンの楽曲を踏襲するよりも、それ以前から祖国にある民謡や民族舞曲を作曲の源泉とすればいいと「国民楽派」が生まれた。

突き詰めれば"ロマン"とは、一瞬の煌めき刹那のときめき

折に触れて思い出す、思いを伝えられない懐かしいあの人のプロフィール。目を閉じれば思い出す遠い祖国の風景。
教会から抜け出し、宮廷から飛び出して、特定の何かに縛られることの無い、よりパーソナルな"祈り"と"願い"、ごく個人的な"想い"。その想いが募れば"熱情(Appassionata)"へと昇華する。
作曲家の"願い"、"祈り"、"想い"が"熱情"へと昇華した、その中から普遍的で、多くの共感を得られた楽曲が「ロマン派」として今も愛される楽曲なのではないか。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0